クッキーを使用して、効率的にナビゲートし、特定の機能を実行できるようにします。以下の各同意カテゴリの下に、すべての Cookie に関する詳細情報が表示されます。
「必要」に分類される Cookie は、サイトの基本機能を有効にするために不可欠であるため、ブラウザーに保存されます。
また、サードパーティの Cookie を使用して、この Web サイトの使用方法を分析し、設定を保存し、関連するコンテンツと広告を提供します。これらの Cookie は、事前に同意した場合にのみブラウザーに保存されます。
これらの Cookie の一部またはすべてを有効または無効にすることを選択できますが、一部を無効にすると、ブラウジング エクスペリエンスに影響する場合があります。
安全なログインの提供や同意設定の調整など、このサイトの基本機能を有効にするには、Cookie が必要です。これらの Cookie は、個人を特定できるデータを保存しません。
Cookieは、ソーシャルメディアプラットフォームでのウェブサイトのコンテンツの共有、フィードバックの収集、その他の第三者の機能など、特定の機能の実行を支援します。
Cookieは、訪問者がウェブサイトをどのように利用しているかを理解するために使用されます。これらのクッキーは、訪問者数、直帰率、トラフィックソースなどの指標に関する情報を提供するのに役立ちます。
Cookieは、ウェブサイトの主要なパフォーマンス指標を理解し分析するために使用され、訪問者により良いユーザー体験を提供するのに役立ちます。
Cookieは、お客様が以前訪問されたページに基づいてカスタマイズされた広告を提供するため、および広告キャンペーンの効果を分析するために使用されます。
この地を『臥龍』と命名したのは、大洲藩第3代藩主加藤泰恒が「蓬莱山が龍の臥す姿に似ている」ことから名付けたものと言われています。清流肱川河畔のもっとも優れたこの景勝地に初めて庭園を築いたのは文禄年間、藤堂高虎の重臣、渡辺勘兵衛の時代に遡ります。その後、この地をこよなく愛した泰恒公は、吉野の桜、龍田の楓を移植し、庭に一層の風致を加えました。その後、歴代藩主の遊賞地でしたが明治以降は補修されることもなく自然荒廃していました。
現在の山荘は、明治時代に新谷出身の豪商で木蝋貿易に成功した河内寅次郎(常住地:神戸)が、老後の余生をここで過ごしたいと大洲随一の景勝地であるこの地に明治30年頃から10余年をかけて築造した別荘です。寅次郎氏は、明治42年10月に亡くなりますのでここでの居住はごく短期間でありました。寅次郎氏亡き後、養子の陽一氏は一時、弟の上甲文友氏に管理を任せられました。その後昭和20年、戦災のため、陽一氏は大洲に引き揚げてこの地に常住しました。
昭和31年9月30日、大洲市教育委員会はこの地を名勝地として大洲市の文化財に指定しました。昭和53年3月20日に大洲市はこの地を陽一氏より譲り受けて保護管理することとなり、昭和55年春より大洲市の観光拠点として一般公開されるようになりました。昭和60年2月、臥龍院、不老庵が愛媛県の有形文化財として指定を受けました。また、ミシュラン・グリーンガイド・ジャポンにおいて一つ星を獲得しています。
臥龍院(がりゅういん)は、構想10年、工期4年、河内寅次郎がその情熱を最もそそいだ建物です。この母屋は周囲に調和した均整の美を取り入れ、屋根は茅葺、農村風寄棟の平屋建てとして全国各地より吟味した銘木を使用し、隅々にまで計算し尽くされた設計です。相談役に茶室建築家の八木氏、施工は大洲:中野寅雄、京都:草木國太郎の名大工が手掛け、建物細部には千家十職、絵画も当時の大家に手によるものです。材料の精選、着想の秀抜、加えて名工の卓越した技術が相まって里には稀な名建築となっています。
臥龍院と同時期に浴室として建てられた建物。昭和24年に内部を改造して茶室とされました。「知止」の扁額は大洲藩第10代藩主加藤泰済の筆です。陽明学者中江藤樹の説いた教えから「知止」という庵名が生まれました。壁の腰張には皇室の名代を徳川家で迎えるとき、その接待役を勤めた第3代藩主藩泰恒の「茶方日記」の反古です。
臥龍淵を眼下に見る崖の上に懸り造りに建てられた数寄屋造りで、庵そのものを船に見立てて作られており、天井は竹網代一枚張りを船底の形のような形にしてあります。対岸の冨士山右端から月が昇り、天井に反射して部屋を明るくする巧妙な趣向が施されています。床には2間幅の仙台松の1枚板を使用し、2間の曲がり竹を落とし掛けにし、違い棚をつけない簡潔な仕上がりです。
入口縁続きに大徳寺庵孤篷庵に見るような素朴な意匠の茶室があり、外に出て裏に廻ると生きた槇の木を使った「捨て柱」が見られます。これは建築当時、懸り造りの基準に使われたもので建てられています。
臥龍山荘の門をくぐれば特徴的な石積みがすぐ右手に目に入り、「乱れ積み」「末広積み」「流れ積み」と変化を持たせた石積みの中に生きた「チシャの木」が繁茂し、自然と人工の共存を感じさせてくれます。次に石垣の中に埋め込まれた石臼に目をとられます。流れ積みの中に船に見立てた石があり、何かを語りかけられているようでもあります。